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メモ置き場

論文を書く前に:その2

Manual for Authors of Mathematical Papers (Bull. Amer. Math. Soc. 68 (1962), 429-444, DOI: 10.1090/S0002-9904-1962-10764-2)という文書があります.組版が安く済むような原稿の書き方など,現在の私たちには,ほとんど役に立たない内容も多いですが,それでも,(英語で)論文を書く際には,一読しておいた方が良いものです. この文章の第2節 (p. 431) に,次のような文章がでてきます.
Since your published paper will forever speak for you, without benefit of the cleansing sponge, careful attention to sentence structure is worthwhile.
次のような文章もあります.
Each author must develop a style that suits him; a few general suggestions are nevertheless appropriate.
The reader is looking at your paper to inform himself, and not with a desire for mental calisthenics.
[2017.06.30]

三冊の拙著について

同じようなタイトルの著作が三冊出版されておりますので,おのおのの違いについてまとめてみました. 一言では,次のように言えます. [2017.03.23]

TikZで描画

最近、「その図をどうやって描いているか?」と聞かれます。TikZで作っています。これについて詳しいことは適当に検索してください。ここでは、一つだけ例を挙げます。例えば、

newton1.png

のような図を描きたいときは、次のように入力(例えば、newton1.texという名前にする)して、通常のLaTeXの処理をすれば、newton1.pdfが得られます。[2015.08.24]


\documentclass[dvipdfmx]{standalone}
\usepackage{tikz} 
\usetikzlibrary{shadows}
%%%
\definecolor{cyan80}{cmyk}{.8,0,0,0}
%
\begin{document} 
\begin{tikzpicture}[domain=0:6.4, samples=100, very thick] %定義域、点の数、線幅
\draw (0,0) node[below left]{O}; 
\draw[thin, ->] (-0.5,0)--(7,0) node[right] {{\small $x$}}; 
\draw[thin, ->] (0,-0.4)--(0,3.2) node[above] {{\small $y$}}; % y軸
%%
\draw[thin] plot(\x, 0.0125 * \x*\x*\x-0.2) node[left] {{\small $y=f(x)$}};
\draw [very thin, magenta](6,0) node [below]{{\small $x_k$}}--(6,2.5);  
%%
\draw (2.51984,0) node[above,red]{{\small $a$}};
%%
\draw (5.3,1.8) node[left,blue]{{\scriptsize $y-f(x_k)=f'(x_k)(x-x_k)$}};
\draw[thin, ->, blue] (4.5,1.6)--(5.074,1.2499);
\draw [very thin, blue](4.148,0)--(6,2.5); %x0とx1
\draw [very thin, blue](4.148,0) node [below]{{\small $x_{k+1}$}}--(4.148,0.6922);  
%%
\draw [very thin,cyan80](3.075381,0) node[below]{{\small $x_{k+2}$}}--(3.075381,0.16359);
\draw [very thin,cyan80](3.075381,0)--(4.148,0.6922); %x1とx2
\end{tikzpicture}
\end{document} 

おすすめ

これから応用解析を志す人(あるいは志している積もりの人)は,以下の記事くらいは,読んでおいた方が良いと思います.最後のものを除けば,学術的な内容ではありません.したがって,記録を残しておかないと忘れられてしまう恐れがあるので,ここに記しておきます.

  1. 加藤敏夫:偏微分方程式の断面,科学(岩波書店),第27巻,5号,1957年,246-251
  2. 加藤敏夫:数理物理学(学生会員のために),日本物理学会誌,第15巻,3号,1960年,170-174
  3. 藤田宏:Navier-Stokes方程式の数学的プロフイル,日本物理学会誌,第17巻,4号,1962年,260-264
  4. 藤田宏:非線形偏微分方程式へのある入門,日本物理学会誌,第25巻,1号,1970年,18-23(ちなみにこの号は,面白い記事ばかり載っています)
  5. 近藤次郎:現象と数理(応用数理学会創設総会記念講演会,設立総会および記念講演会),応用数理,創刊準備第2号, 1990年,18-33
  6. R. Courant: Variational methods for the solution of problems of equilibrium and vibrations, Bull. Amer. Math. Soc. 49 (1943) 1-23
[2015.06.23]
追加です:
  1. 外野から見た物理学,日本物理学会誌,第34巻,1号,1979年,22-36
  2. 藤田宏:大学における研究教育は如何にあるべきか:理工学部の視点から,明治大学理工学部50周年記念号,1994年,3-8
  3. 藤田宏:私の辿った道,明治大学理工学部研究報告 (特別寄稿),2000年3月
[2015.07.03]
さらに追加です(今読むと改めていろいろと思うところがあります):
  1. 「数学通信」創刊号
[2015.07.31]

コピペについて

昨年は、コピペ論文が話題になりました。 それはともかく、折に触れて、次のことを院生に伝えます。

「既存の論文」に書いてあることを「新しい論文」に書くときには注意を要します。必要な(かつ必要最小限度内の)引用や再掲に該当しない、Copy & Pasteは unfairな行為である、ということは多くの人が理解しています(しているはずです!)。ただし、この「新しい論文」、「既存の論文」を、「 自分の新しい論文」、「他人の既存の論文」と理解するに留まっている人は多いようです。自分が過去に書いたものであっても、「既存のもの」に変わりはないので、例外には成りえません。実際、対象とする方程式だけ少し変えて(一応、一般化と理解できる)、後の議論は全く同じ、文章も全く同じという論文を査読したことがあります(その他にも、掲載不適当と判断できる理由があったので、rejectを勧めました。レポートにこのような論文の書き方はunfairであると、書こうと思いましたが、過激になってしまう可能性があるので、止めました)。 そこまでひどくなくても、(少なくとも応用数学では)Introductionにおける動機や問題の説明が全く同じという論文は、たまに見かけます。これは、文章の主張が同じという意味でなく、単語も含めた文章が全く同じということです。しかも数年、数本にわたって伝統を守っている人もいます。自分が査読者のときには、レポートに「このparagraphとこのparagraphは著者達による[3]のparagraphと全く同じであるから、rewriteすべし」と書きますが、数行の加筆があるだけで、修正が全くなされていないrevised manuscriptが返ってくることも、しばしばです。要するに、自分の行いの何を指摘されたかを理解していないのでしょう。

確かに、一人の人間の興味の中で 「動機の説明」は毎回同じようなものになるでしょうが、しかし、何らかの新しい成果があったから論文を書くわけです。全く同じことしか書けないのならば、まだ、論文を書く段階にない、ということだと私は思います。

ただし、定理・命題・定義の記述は、一貫していた方が良いので、例外となる場合があると思います。「注意」は少し扱いが難しいでしょう。

また、別の見方をすると、このような問題は、研究倫理の問題である一方で、技術の発達にも原因があると思います。すなわち、コンピュータで論文を書いているということです。これについては、このページの下にある「数学通信」編集後記(第15巻2号)を、参照して下さい。

と偉そうなことを書きましたが、実は、私自身が、自分の過去の論文のあるparagraphを自分の新しい論文にコピペして、それを査読者に注意された経験があります。ひどく反省して、revised manuscriptを作りました。そのときの査読者のレポートは、そういう形式的なことだけでなく、数学的な内容についても本質を鋭くつく指摘がたくさんなされており、論文の質を高めるのに、とても役立ちました。その経験から、自分が査読をする際には、このように「役立つレポート」を返したいといつも奮闘しています。

いずれにせよ、判断に迷ったら、その行為はfairunfairを考えるのは大事だと思います。良くないのは、「みんながやっているから良いだろう」と考えることです。これは実は、何も考えていないことと同じです。[2015.03.12]

論文のIntroductionについて

折に触れて、次のことを院生に伝えます。

論文のIntroductionには、考える問題、動機(背景)、結果(の概要)、その新規性、解析方法(の概要)が明快に述べられていなければならない。良い論文はIntroductionが読みやすい論文である。だから、Introductionを書くのが一番難しい。 普通は、一番最後に書く(あるいは、仕上げる)。研究背景の説明は、自分自身の動機の説明や新規性の説明のために述べる。教育・啓蒙が目的ではない。基礎的なこと、専門家にとっては当たり前のことをクドクド述べる場ではない。 例えば、有限要素法の論文の冒頭に

The finite element method plays an important role in computational mechanics.
等と書くのは、感心しない。この文章を読んで、「そうなのか!」と思う人は、そもそも、論文を読まない。その論文に関係するimportant roleが何なのかを具体的に書かなければ意味がない。[2015.03.08]

ウェブページリニューアル

数年ぶり(多分5〜6年)に、ウェッブページをリニューアルしました。2006年からXOOPSを使っていましたが、ここ数年、公開する情報を上書きするだけで、システムのアップデートやメンテナンスを全くしていませんでした。いまから最新バージョンに合わせるとなると、ページを全面リニューアルするのと同じか、それ以上の手間になってしまいます。WordPressにでも乗り換えようかとも思いましたが、結局、いつかはまた乗り換えるという作業が必要になります。それならば、初心にかえって、HTMLを自分で書くのが良かろうという結論に至りました。XOOPSを使っていた理由の一つは、二ヶ国語(日本語・英語)のサイトを簡単に構築できるモジュールが利用できたからです。しかし、最近は、英語版を自分で作るよりも、Google ScholarResearchGateに任せた方が良いように思われます。院生のころに、就職活動の一環として、自分のウェッブページを作り、現在に至っています。自分自身の情報の整理に役立っています。私の指導している院生にも勧めていますが、現状は、こんな感じです。[2015.03.03]

ノートについて

昨年は、「実験ノート」が話題になりました。それはともかく、折に触れて、次のことを院生に伝えます。

勉強・研究・ちょっとした計算に関わらず、保存する事を前提とした、ノートを作る事が大切である。 ノートの形式(冊子、ルーズリーフ、レポート用紙)は何でも良いが、最終的には、綴じるべきである。ノートには、年月日を必ず入れる。日付順にならんだノートは財産である。 タイトルもつけると整理しやすい(一冊のノートにタイトルをつけるという意味でなく、ノート一回分に対してという意味)。参考にしたもの、引用したもの(論文、本、他人からのアドバイス)を、必ず詳細にメモすること。本の名前だけでなく、ページや定理の番号なども重要である。(これをやらないと、必ず二度手間になる。) 私は、最近は、ある程度ノートがたまったら、スキャンしている。また、数年前に、院生の頃からその時点までに作ったノートをすべてスキャンして、通し番号(単に日付ですが)を振り、持ち歩くようにした。これが、想像以上に便利である。

数値計算の際にも、プログラムの説明や、計算結果の整理のためにノートを作るべきである。(プログラムの中に詳細なコメントを入れておくことは、当然であるが、それに加えてということ。) 基本的には、自分にわかるように書けば良いが、人に読ませることを想定して書いた方が良い(実際には見せなくても)。 往々にして、一年前に自分の書いたプログラムは、意味不明である。一年後の自分が読んで分かるように、ノートを書いておくべきである。 [2015.03.01]

論文を書く前に

院生が(本当は院生に限りませんが)論文を書く前には、次のような本を読んでおくべきでしょう。当たり前のことですが、これを読むと、論文が書けるようになる、ということはありません。ただ、人が「論文を書くということ」をどう理解しているかを知ることは大切だと思います。(ハウツー本なんて、、、という人もいるでしょうが)

  1. N. J. Higham, Handbook of Writing for the Mathematical Sciences, 1998, SIAM. [奥村,長谷川(訳),数理科学論文ハンドブック・英語で書くために,1994年,日本評論社]
  2. 野水克己,数学のための英語案内,1993年,サイエンス社
  3. 一松信,数学論文の書き方,数学,第39巻,3号,1987年.
  4. 小林昭七,数学論文の書き方(英語編),数学,第39巻,4号,1987年.
他にもいろいろあります。 [2015.03.01]

「数学通信」編集後記(第15巻4号)

編集後記を書くのもこれが四回目,そして最後です.最初の編集後記(第15巻,1号)には,「編集長の平田先生や数学会事務局の皆様に,全面的に依存してしまう様子が今から目に浮かびます」と書きましたが,図らずも予言は的中してしまいました.面目ありません.平田先生と数学会事務局の皆様に,あらためて御礼申し上げます. 数学会で委員を務めていて,いつも印象に残るのは,私の知っている範囲で他の学会と比べると,委員長の任にある先生が最も忙しいということです.やはり,偉い人ほど義務が多い,というのが(少なくとも日本における)数学者の見識なのでしょう.もちろん,他の学会にそのような見識がないということが言いたい訳ではありません.ただ,分野が異なれば,異なった文化があり,見識も異なるということを,このようなところからも,あらためて感じるということです. さて,ここ数年,委員会等で定期的に秋葉原の数学会事務局を訪ねておりましたが,この数学通信の常任編集委員の任を終えると,しばらく秋葉原に行く用事も無くなりそうです.そう言えば,2号の編集会議(土曜日でした)で数学会を訪れた際には,中央通りを末広町方面から秋葉原方面へ向かって全力疾走するメイドさんを発見し,心の中で応援しました.これも良い思い出です.[2011.01.17]

「数学通信」編集後記(第15巻3号)

以前勤めていた大学の同僚に教育工学の専門家がいます。先日、その先生のホームページを久しぶりに覗いてみると、学部3年生向けの演習のテキストとして、「卒業研究はじめの一歩」という資料がありました。第1章「卒論とは何か」ではじまり、第8章「発表する」で終わっています。はじめは「単なる」ハウツーモノかと思いましたが、中身を読んでみると、これがなかなか興味深いものだったのです。例えば、第2章「テーマを決める」では、テーマを「キーワードで示される大雑把な研究の領域」と定義したうえで、興味のある(身近な)事からキーワードを10個挙げ、それを二三個ずつ組み合わせて「トピック」を作り、それを疑問形にすることで、「研究上の問い」すなわち「問題」をつくる、というプロセスが例を交えて説明されています。興味を持ったことを研究しなさい、と言われて研究ができるのはごく少数の人だけでしょうが、このように、一つ一つの段階を丁寧に説明してもらえば、研究するということは特別なことではないという勇気が湧いてきます。このような趣旨で「数学における修士論文はじめの一歩」という本(あるいは文書)があれば、現役院生の役に立つのはもちろん、多くの学部生が安心して大学院に進学できるでしょう。また、著者の先生(達)にとっても、研究のプロセスをマニュアル調で記述することは、自分の研究活動を客観的に反省する良い機会になり、労力をかける意味はあると思います。研究をマニュアル化することはできないという意見も当然あるでしょうし、私も半分賛成します。その一方で、マニュアル化が絶対にできないと考えるよりは、マニュアル化すらできる、と考えた方が、より自由な立場に立てる気がするのです。 ところで、分野や(学生、教員などの)立場に関係なく、第8章の「発表する」は有益な情報源です。特に最近は(少なくとも私の周りでは)PCとプロジェクターを使って発表することがほとんどですから、スライドの作り方や話す速さについての説明は、ためになります。なお、「発表時間内に終える」という見出しの下には「決められた時間内に終わらないのはルール違反です。ルールを守れない人は、発表する資格はありません」とあり、私は思わず「すみません」と謝ってしまいました。[2010.0.04]

「数学通信」編集後記(第15巻2号)

学生がLaTeXで清書したレポートを提出してくれるのは嬉しいのですが、中には、清書というよりはLaTeXをノート代わりにして計算しているのでは、というレポートがあります。そういう私も、LaTeXをノート代わりに使うことは日常茶飯事ですし、ワープロで下書き・推敲をした文章を、手書きが義務付けられている書類に書き写すという、逆清書をすることもよくあります。LaTeXとは何か?をGoogle先生にお尋ねすると、「ウィキペディアに『テキストベースの組版処理システムである』と書いてある」と教えてくれました。しかし、LaTeX(ここでは処理全体を意味しています)そして一般のワープロは、組版処理や文書清書を超えて、すでに筆記具の一つになっているというのが、より正確な現状のようです。確かに、LaTeXで論文や数学のノートを作るのはとても楽です。しかし、このような書き手(そして出版社)に対するやさしさは、読者に対するやさしさには直接に繋がっていないように思います。すなわち、簡単に文章を挿入できるために、最適とはいえない場所に冗長な説明を何度も繰り返したり、数ページ後の数式を引用してしまったり、節割りや命題の構成に関する吟味が不十分なまま、完成品として世に出てしまったり、という論文を見る機会が年々増えているような気がするのです(自戒の気持ちも込めて)。それに比べると、タイプライターで清書をしていた時代(私にとっては世界史の出来事に属する時代です)の論文は、内容はともかくも、良く整理されていて読みやすいものが多いような気がします。古い本ですが、Silicon Snake Oil (邦訳題「インターネットはからっぽの洞窟」、倉骨彰訳、草思社)の著者のC. Stollは、この本を書くにあたって、実験として、ワープロ、タイプライター、手書きの三つの方法を三日置き替えて執筆したそうです。結果は、ワープロは、とにかく文字数が稼げる、タイプライターは、ワープロよりもコンパクトで抑制の利いた文体になる、そして、手書きの場合は、人との関わりや自分の生い立ちについて書くことが多い、ということです(これは本文ではなく、訳者あとがきの項で紹介されていた話です)。最初に読んだ時には、あまり気になりませんでしたが、手書きの結果はさておき、ワープロとタイプライターの比較は、今となっては、なるほどと思います。とはいえ、いまからタイプライターに逆戻りするわけにはいきませんから、少なくとも私にできることは、書き手の便利さと、読者の便利さは違うということを、常に心掛けることかなと思っています。[2010.07.19]

「数学通信」編集後記(第15巻1号)

「数学」編集委員の二年の任期があとわずかとなり、何もできなかったと反省していたところに、思いもかけず、「数学通信」の編集委員を拝命することとなりました。編集長の平田先生や数学会事務局の皆様に、全面的に依存してしまう様子が今から目に浮かびますが、今度は、少しばかりでも寄与できるように努力する所存です。どうぞよろしくお願い申し上げます。 先日、文科省委託業務「数学・数理科学と他分野の連携・協力の推進に関する調査検討」の一環として「拡がっていく数学-社会からの期待」と題されたシンポジウムが、東大数理で開かれました。私は、パネルディスカッションのみを拝聴しましたが、数学と産業界等との連携・協力の促進、あるいは数学と社会との間の溝を埋めるための仕組みや制度の構築について活発な議論が聞けて、大いに触発されました。質疑応答では、立派な発言をする学部生がいて頼もしく感じましたが、一方で、ある年配の方の「このような試みは前にもあって、それは数理解析研究所という形で実現した」との発言(語句は不正確です。あくまで大意のみ理解して下さい)が印象に残りました。実際、数理科学研究所ができるまでの経緯の一部は、1959年から1962年までに計13冊刊行された「数理科学ニュース」で詳しく知ることができます。私は、以前これを読み、内容が極めて現在的であることに、妙に感心した覚えがあります。すなわち、数学を生業にする人たちの理念や思い(方程式)には大差はなく、時代(初期条件)や社会(境界条件)、そして数学あるいは自然科学自身の成熟・衰退度(非斉次項、非線形項?)の下で、ある解が構成されるか、解が見つからないまま終わるか、ということなのだろうと思ったわけです。数理解析研究所は、一つの(そしておそらく最適の)解でした。私たちは、また新しい解を探そうとしていますし、今後も探すことになるでしょう。その際に、先人の歩んだ道程を振り返る労力を惜しむのは損だと思います。 歴史に学ぶといえば、今年の大河ドラマの主人公は坂本龍馬です。先週は、龍馬と勝海舟との出会いが、ちょうど描かれていました。それで思い出しましたが、勝海舟は次のようなことを言っています。「漢学といふものは決してわるい学問ではない。やりやうによつてはずいぶん役に立つのだ。それが今日のやうに一向振はないといふのは、つまり漢学がわるいのではなくつて、漢学をやる人がわるいからだ。」漢文を数学に取り換えてみることは、もちろん、単なる言葉遊びですが、なぜか身に沁みてしまいます。[2010.04.19]

「数学」編集後記

(何巻何号に掲載されたか、わからなくなりました)

リーダーシップ溢れる編集長と有能な秘書がそろえば、ほとんどのことは順調に進むということを実感した二年でした。そして私は特にこれといった寄与ができずに任期を終えてしまいますが、身近にありながら、あまり意識していなかった「数学」について、今更ながらに知ったことが多く、大変勉強になりました。このような反省で締めくくる積りでいたところ、思いもかけず、今度は「数学通信」の編集委員を仰せつかりました。したがって、この編集後記は、「数学通信」の新任の挨拶へと続きます。[2010.04.14]

数理送別会での菊地先生を送る言葉

(この文書は2009年3月12日に行なわれた数理科学研究科送別会で、退職を控えた菊地文雄先生について、何かスピーチをして欲しいと言われて、そのための原稿として用意したものです。実際のスピーチでは、省略したこともありますし、アドリブで入れたエピソードもあります。スピーチ自体は、結構、受けたので、安心したのを良く覚えています。[2015.03.13])

菊地先生の退職にあたって、私が言葉を贈るというのは、大変僭越で、躊躇する気持ちが強いのですが、専門分野の近いからという理由での指名でもありますし、二度目の機会のないことでもありますので、ひとこと申し上げたいと思います。

菊地先生は、1964年に理I入学、1966~73年工学部原子力工学科に進学、1973年に宇宙航空研究所に着任され、その後、1981年に教養学部、1993年に数理科学研究科に異動されて、36年間を駒場キャンパスで過ごされました。

今年の2月の初めに印刷された教養学部報に、宇宙研から教養学部、数理科学研究科へ移った経緯を先生自身が思い起こしておられました。読まれた方も多いと思います。その記事も、なんとなく読めば、なんとなく読めてしまいますが、細かいところの真意を考えてみると、いろいろと伝わってくるとことがあり、事情をほとんど知らない私が読んでも、とても興味深いものでした。それ読んで、とても先生らしいと思いました。というのも、こちらがうまく質問すると、とても面白い話をして下さります。面白いというのは、まさにいろいろな意味でおもしろい、という意味です。

東京大学での教育・運営面でも、いろいろご活躍はあったと思いますが、残念ながら、私はそれを知る機会がなかったので、ここでは、菊地先生の研究の側面について申し上げます。菊地先生は、学部4年の卒業研究において「低温低サイクル疲労の実験」をなさったということですが、その後は、構造力学における問題の有限要素法による数値解析を皮切りに、有限要素法の理論的それから応用の研究に打ち込まれて、常に世界をリードする結果を残されています。とくに、菊地先生は常に、重要な問題に、いち早く着目して、本質的な寄与をなしてこられました。どれくらい本質的なのかを、ここで細かく正確に説明はしません。その代りに、乱暴な例えをすると、菊地先生が苦労して、切り開いた道を、あとから大きなブルドーザが何台も通っていき、はじめに誰が歩いていたのかがわからなくなる、というのが私の印象です。

菊地先生の直接のお弟子さんは、残念ながらというか、不思議なことにというか、あまりいらっしゃいません。先生は、有限要素法や、微分方程式の数値解析についての本を何冊か書かれていますが、その本に啓発を受けたという人の数は、おそらく先生が考えているよりもずっと多いと思います。もちろん、私もその一人です。狭い意味での数値解析の研究者・院生・学生だけでなく、コンピュータシミュレーションを偏微分方程式の研究に活用している人たち、それも数学の内部・外部を問いません、また、アカデミックでない企業等の技術者達などなど、影響を受けた人たちのrange(レンジ)は、強い弱いはあるにせよ、相当にひろいと思います。とくに、先生の本は、我々がなぜ、数値解析を研究するのか、あるいはなぜ数学を研究するのか、という動機づけに一章が費やされており、それ以外の数学的なところは、ちゃんと読んでいないけれども、動機づけの章だけは、しっかり読んだという方まで、含めると、rangeはさらに広がります。ということで、菊地先生の遺伝子は、広く、先生から見れば浅くかもしれませんが、受け継がれているように思います。それで、というか、しかしというか、菊地文雄という名前は知っていても、実物は知らず、教科書を書いた先生という認識の人たちは、すくなくとも私と同世代、さらにその下、ではほとんどで、それは私も例外でなく、私にとっても、あやうく、菊地先生は歴史上の人物という認識で終わってしまうところでした。幸い、一年半前に、東大数理に異動しまして(その前に一度集中講義で呼んでいただいたりしておりましたが)、短い間でしたが、同じ職場で過ごせたということは、私にとっては、大変幸運でした。

教員として、36年間、東京大学で勤めあげられたことは、本当にお疲れ様でしたと、お礼を言いたいと思います。その一方で、4月以降は、先生は、基礎的なことからいろいろと勉強がしたいとおっしゃっていましたが、研究の面では、まだまだ、あてに、頼りにしておりますし、ご指導していただかなくてはなりませんので、今後ともよろしくお願いいたします。[2009.03.12]

菊地文雄先生をおくる言葉(「東京大学教養学部報」第518号)

菊地文雄先生が駒場キャンパスを去る日が近づいてきました。同僚として過ごしたのは僅か一年余りであり、菊地先生から見れば相当の若輩者の私にとって、このような文章を書くことは僭越で躊躇する気持ちが強いのですが、またとない機会でもありますので、一言述べさせて頂きたいと思います。

菊地先生ご本人の記事で述べられているように、先生は、有限要素法が新しい解析手法であった時代から、常にその応用そして数学理論研究の第一人者であり続けました。有限要素法とは、微分方程式の数値解法の一つであり、汎用性が高く、かつその原理は端正な数学理論で保証が可能であり、その意味で最も強力と言えます。様々な物理現象が微分方程式を用いて記述できますから、先生が著書で述べられているように、「有限要素法の出現により、我々は計算によって未だ存在しない物の性質も、かなりの確かさで知ることができるようになった」のです。先生は重要で基盤的な問題にいち早く注目し、本質的な寄与を成してこられました。昨今、数学とその応用に関しては様々な議論がありますが、先生のように工学部出身であり、(三十年以上前から)応用の立場から数学的基礎理論の重要性を認識し、本質的な寄与をなしてきた研究者の声に耳を傾けるのが最も有効のように思えます。

残念ながら、先生から直接薫陶を受けた研究者は、そう多くありません。しかし、先生に私淑している者の数は、おそらく先生の想像以上に多いと思います。実際、先生の著書の内の二つ「有限要素法概説」と「有限要素法の数理」は、応用解析を志す者にとって必須の本です。前者は有限要素法の基礎からプログラミング、そして応用までを、簡潔かつ具体的に述べた入門書、一方、後者は有限要素法の数学理論を、問題への動機、定式化の方法、定理と証明までを、明瞭でありながら深く解説した本であり、理論の発展をリードしてきた先生だからこその説得力そして哲学にあふれています。この二冊は、今後も必須の本であり続けるでしょう。三冊目がないのは、後進の怠惰かも知れませんが、それほど先生の本にはすべてが書かれていると言えます。その意味で、今後も先生から影響を受ける研究者の数が減ることはないでしょう。 また、これも先生自身の記事に触れられていますが、先生は多くの組織の改組等を経験されており、したがって先生の経験談は現役の大学教員には教訓的であります。もっとも、その類の話を深刻に訴えるのではなく、事実のみを淡々と、しかも飄々とした表情でお話しされるところに、先生のお人柄の温厚誠実さを感じずにはいられません。

さいごになりましたが、菊地先生の新たな門出をお祝いすると共に、今後のご活躍とご健康を心よりお祈りいたします。 [2008.12.08]

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